2009年02月20日
絹川 様デリヘルの今日の調べごと日記: 『吾妻鏡』のこと
一度きちんと読んでみたい書物です。
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『吾妻鏡』は、1180年(治承4)から1266年(文永3)まで、87年間を描く。本書の記述は、1180年(治承4)4月、以仁王によって出された東国の武士に挙兵を促す令旨(りょうじ)が、源頼朝のいる伊豆の北条館に届くところから始まり、1266年(文永3)7月20日に、鎌倉を追われた第6代将軍・宗尊親王が京都に到着して将軍を退位するところで終わる。その間には、治承・寿永の乱と平氏政権の滅亡、鎌倉幕府の成立、承久の乱を経て、北条泰時の執権政治の始まり、更に13世紀半ば、1246年(寛元4)の宮騒動と翌年の宝治合戦を乗り切った北条時頼による得宗家幕府単独支配の達成がある。こうした武家政権や社会の動きを、将軍の年代記として日記形式をとり、吾妻鏡体とも称される和風漢文(変体漢文の一種で漢文体が著しく崩れた当時の日用文体)で記述されている。収録範囲としては、当初から宗尊親王の将軍退位までで終わる予定であったと見られるが、編纂自体はおそらく未完のまま中断との説が有力である。
初代将軍・源頼朝から第3代将軍・源実朝までの源氏三代の記述については、頼朝にはそれなりの敬意は払っているもののかなり手厳しいところもあり、北条得宗家についてはその活躍や善政が高らかに強調される。この傾向は、特に北条泰時に関する記述に著しい。
本書編纂に際して参照するために収集された文献は、本書が編纂された鎌倉時代後期の西暦1300年頃に残る広範囲の文書類と見られる。その中心となるのは、大江氏、三善氏、二階堂氏ら、鎌倉幕府を支えてきた文筆の家(鎌倉幕府のテクノクラート)に残る幕府の記録、歴代文筆官僚の筆録、日記を中心に、北条諸家、縁のある御家人の家伝、訴訟の証拠として提出された偽文書をも含む書類、さらに寺社の記録、可能な場合は『明月記』などの公家の記録などである。このため、かなりの範囲で、鎌倉時代後期における認識が混ざっていると考えた方が無難であり、また一部には、明らかに編纂時の曲筆と見られる部分もある。特に、前半の源氏三代記については、『愚管抄』や『玉葉』など、同時代の公家の日記と突き合わせながら、慎重に研究に用いられる。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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